尊いったら尊い

美術館やら香水やら化粧品やらを軽率に愛でています。

東京都写真美術館 【世界報道写真展覧2021】

ひさしぶりに展覧会に足を運びました。

目黒と恵比寿の間にある東京都写真美術館のやっている「世界報道写真展覧2021」です。以下がURLです。

 


https://www.topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4021.html

 


行って本当によかったと思ったので、久しぶりにこのブログに書く事にしました。

 


まさにこの今地球で起きていることを写真にしている訳ですが…

やっぱり個人的に一番心動かされたのは、写真が全部本物だということ。本当にあるもの。

事実は小説より奇なりとはよく言ったもので、これがリアルだという事には本当に心動かされるんですね。

 


地球の裏側の山火事も、難民キャンプで子供をあやすお母さんも、ロシアでは発達障害LGBTへの理解が遅れていることも、バッタが大量に出現したアフリカの農場も、写真の限りでは本当に赤子そっくりの人形も。唇の赤さも、顔の作りも、本当に本物と区別がつきませんでした。

 


家に突如現れたハトのつがいも、いじめられた少年を抱くガールフレンドも、中東やアフリカの政治腐敗に対して国を相手に戦う人も、こんなところにという場所に写るスマホも。みんな本当にあったことなのです。

 


私の日常生活のなかの「当たり前」なんてどこにもないんだと思い知らされてきました。

 


写真はエモーショナルなものだから、エモーショナルになるよう作られ選ばれるのでしょう。受け手に与えるインパクトが大きいだろうものが今日私が見た展覧会という場にデカデカ出ているのでしょう。それでも、色々考えながらも少なくともインフラの面では日頃ぬくぬく生きている人間にとっては色々考える機会になりました。

 


これも言い古されたものだけど、ノンフィクションとか途上国の云々とかに触れると自分がいかに恵まれた立場に置かれているかと考えざるをえませんでした。その日1日が冴えてなくても、なんとなく、うん、まあ…いいか…と溜飲が下がることも少なくないです。そういうの見ると。

 


ヒトはいない方が確実に地球にとっては良いんだろうなあ。

少数民族をどうするという話し合いも、インフラ整備も、地球規模だとどれも小さな話に見えるな。と言った、これもまた使い古された表現ですが自身の小ささみたいなのも感じましたね。

 


全ての写真において言えるのは、何かを訴える、不満を訴える、涙で潤んだ瞳、目はたくさんのことを語るということ。その政治情勢や人の営みがもたらしたその結果がその瞳なのです。どんな瞳であっても。

 


正直、恥ずかしながら少し前まで時事問題に興味の持てなかった私がこんなことを考えるのがあまりにも意外で、それを忘れないように今回ブログに書くことを決めました。

 


私にとっては興味の無いものに興味を持たなければならないのが一番苦痛。

受験の時どうしても政経に興味が持てなかった私がこんな話をするなんて。本当に変わったなーと思います。

社会人になって一年、仕事を通じて、頑張ってできることとできないことがあらわになったからでしょうか。自分がどうしたら「生き残れる」か、一人暮らしの1Kでようやく実感をもって考えるようになったからでしょうか。

この時を生きているという実感が得たさに今回の展覧会に足を運んだのでしょうか、私は。

 


もしかすると、ではありますが、自分の生きるこの時代自身にようやく関心が持てたという現れなのかもしれません。

 


コロナももちろん、そういうのもあったな…と思い出すようなニュースについて触れられていることも、今まで知らなかった事がフィーチャーされていることもある展覧会です。点数は多くはないですが、誰か同伴していれば感想を言い合いたかったな、という展覧会でした。

ここまで読んで下さりありがとうございました!